理容の職業意識高まり

明治の30年代は、日本にも産業革命が起こり、様々な社会問題を生み出し、労働者への非常に劣悪な労働条件などの人権侵害が行われた。この根底には労働者は賤(せん)業(ぎょう)者という社会通念があった。この点に関しても、理髪業についても同様で、当時の資料を見ても「我らがごとき賤業からの脱出」という言葉を理髪師自身が使用しており、それは、理髪業が賤業と見なされていたからほかなになかった。

しかし、明治34年「理髪営業取締規則」の制定、同39年の「大日本美髪会」の誕生、同43年の「明治理髪学校」の創立の3つの出来事が業界の地位向上という目的のために大きな役割をはたした。これらのことを契機に、一般の理容に対する認識も次第に向上の一途をたどり、社会的地位の確立に一歩ずつ前進した。

業界の大先輩の方々の理容業に対する大きな望みが、うかがえる。

※賤業(せんぎょう)とは(いやしい職業)三省堂しらべ
[理容師法施50周年史より]

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